長七郎旅日記 最終章
習い性というか、永い間の癖なのか3時に目が醒めた。ビール一本と仲居さんに薦められた地酒「子富士」とマッサージで21時には夢の中。もっともビールは毎日だから「子富士」がいつもより30分睡眠を伸ばしてくれたのかも知れない。
よく眠れた。高橋専務・倉片さんのコメントを読んで感謝。
夕食はこの旅最高の豪華版で、土佐牛のバター焼と旨い魚(名前忘れた)の煮付け、それから刺身(鰹は少し食傷気味だったが)も新鮮で口に入れると今朝、死にましたという魚声が聞こえるようだ。抹茶と海老の和え物と茶そばの上に乗せるてんぷら3品、鍋ものと、今死にました鯵のタタキに蛸ごはんにお吸い物に本場のみかん、じゃなくて、えーと、えーと思い出せないが、とにかくよく食べた。今も腹は満腹状態。
遠くで救急車の音、近くで車のタイヤが雨をひきずる音が現実感の扉を開けて浮遊する夢をそろそろ起きろと終わりを告げているようだ。十四畳の和室はひとり夢を見続けるのには広すぎるし、昨日仲居さんがお客様お一人ですこの階にお泊りは が、そわそわに近いものに、言い換えれば閉店5分前に入ったラーメン屋さんで出来上がったラーメンを啜っているテーブルはいつも通りのなのだが、ほかのテーブルを片付け始める疎外感に似ている。でも“どうぞ、ごゆっくり召し上がってください”と言われているのに安心の出来ない自分。食べ方がいつもより早く、終わって勘定を済ませて外に出た時の安心感。いまはそんな気持ちである。
きのう、「一六タルト」を土産に買う。今日岐阜で会う従姉妹、横山 泰子と会社と留守を守っている家内とおふくろにと2本入り6本で考えてみるとこの8日間で他人に使ったお金はこの土産だけだったと妙な気がした。そろそろ片付けて出発の準備にかかろう。4:33 外は夜のまま。軽くシャワーを浴びて着替えを済ませてロビーにでたのが5時を7・8分過ぎていた。カーナビに岐阜城と入れるとまたお城?と訝るように表示を待たされたが580キロ、松山インターから高松を抜けて、
明石海峡を渡り、神戸から第二神明・名神・東海北陸自動車道「一宮木曽川」とおそらくヤマト便でも中1日を下さいと言われるであろう距離をフロントガラスに喧嘩を売っているような雨を話し相手に岐阜に着いたのが14:30。追い越し車線に溜まった雨が車体をこちらの意思などお構いなしに走行車線に誘うように左に傾いてヒヤッとしたこともしばしばだったがなんとか岐阜だ。岐ブアッ阜してしまおうかを目標達成に歯を食いしばった結果だが、金華山も霧の中で山頂は見えない。
義務のように岐阜城を見たが、斉藤 道三よごめんなさい。歴史より溺死しそうなたびで織田軍が何度も攻めて盗れなかった、稲葉山城(現岐阜城)より私も諦めて(国盗りを)退散します。長良川沿い 岐阜観光ホテル 十八楼別館に今夜の陣を敷く。長らく雨のためにやらなかった鵜飼も今夜行われると聞く。宿の浴衣で歩いて見るのも、また一興かもしれない。ちょうど雨もあがったようだが、その前に一風呂浴びよう。
温泉は鉄分湯で煉瓦色に濁っていて、いま効能に頼る部分は私の身体にはどこもなかったが、またひとりで露天を堪能した。風呂番の63歳のおばさんが話すのは
「2年前主人は亡くなりました。進行性の胃がんで、それでも2年間は二人で国内旅行しましたよ。北海道から九州まで。癌と分かったあとですがね。56歳定年後まもなく発病ですから、可哀想そうなことしました。お客さんみたいな旅させて挙げたかったな」しみじみと話される。その夜22時15分ホテルを訪ねてきた、私の従姉妹 横山泰子も6年前にご主人を亡くして健気にも理事長として地元各務原で病院を経営しており、久しぶりに会ったが元気で「好きなことを忘れた」と屈託のない笑顔で「死んじゃおしまいよ」と6年前の12月19日の通夜にて言われた言葉が近況を話合うふたりしか居ないホテルのロビーで私の耳に届いてきた。同じ年だが彼女は若く、今後の人生に艶みたいな何かを感じた。その艶は、娘が父親の意思を継ぎ医師を志し、現在患者を任されるまでなったがあと5年もすれば自分の病院に帰ってきてくれる、そのことに強い期待と、使命感が全身を若くしているんだな。希望がお金のかからない身体のメンテナンスなんだと感じ、明日土曜日も病院だからと元気に帰って行った。その背に「がんばれ」を言わなかったのが悔やまれた。
結局、予定をしていた長良川の鵜飼は降りだした雨に、中止。23時部屋に戻り冷蔵庫のビールを飲んで就寝。
7月22日(土)4時半起床。5時半までブログを書き込み、5時半から入れる最後の温泉に入る。近く、国際会議場で「言語学会」が開かれており、筑波の大学の先生と湯に浸かり話す。熊本出身で来週7/24-25日に子供を連れて帰省するが、台風が来ているので帰れないかもしれないと聞き、私の旅をしきりに羨ましいを連発して、脱衣所でお互い気をつけてと別れる。浴衣の裾を遠山金さんよろしく絡げ廊下を歩くと館内の冷えた空気が気持ちよく脛から上へと温泉の火照りを冷やしてくれた。
7時ホテルを出発し岐阜市内で最後の給油をして、昨日下りた東海北陸自動車道「一宮木曽川」インターを名古屋方面に走り、名神「一宮」インターから中央道を取る。距離380キロ。天気、薄陽射す。恵那山トンネル8,6キロを抜けて休憩をとり、いけねぇ昨日血圧の薬を飲んでいない、ことに気づいたが二日分飲むこともないと、掻き揚げそばで朝食後本日分だけ飲む。まぁ、それだけ楽しかったんだよ。諏訪・甲府を過ぎるとなんというか里心がついたと言うのか自然スピードが上がる、道も後押しするように早く帰んなと追い越し車線を空けてくれて12時には見慣れた「八王子」ICから16号を川越方面、もうカーナビはいらないのでOFFにすると、たった10日なのに懐かしく町を見ることが出来た。ひょっとして家内も25歳位になっているかも、と淡い期待は見事に????て猫の額ほどの自宅庭駐車場に車を入れたのが12:25.愛犬「太助」大丈夫かと思われるように、狂って迎えてくれた。お茶の福寿園のおまけの手拭をおみやげにやると、すぐ手拭に夢中になり私を忘れた。いつもの事だ。「ただいま」「おかえりなさい」
整理に二階でPCを立上げ、旅程を思い浮かべる。夢の浮橋を一人で渡ってきた10日間は
2006・0713(木)関が原・琵琶湖西岸堅田泊「きよみ荘」
2006・0714(金)比叡山・長浜泊「北ビワコホテル」
2006・0715(土)長浜城・彦根城 泊「彦根キャッスルホテル」
2006・0716(日)安土城址・信長の館・姫路城泊「グリーンホテルさかもと」
2006・0717(月)大石神社・赤穂城址 泊「赤穂パークホテル」
2006・0718(火)桂浜龍馬記念館・龍馬の像・高知城 泊「高知龍馬ホテル」
2006・0719(水)足摺岬・金剛福寺・四万十川畔 泊「民宿 鈴」
2006・0720(木)四万十川屋形船・松山 道後温泉 泊「茶玻瑠」
2006・0721(金)金華山・岐阜城 泊「十八楼別館」
2006・0722(土)12:25 帰宅
2300キロを走破して旅は終わった。
どんな、旅姿かは私自身の秘密にしよう。
そして、この旅の「番外編」を史実に忠実に書いてみたい衝動を抑えかねている自分を見ながら、ひとまずの終止符を打つことにしよう。

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